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仮説実験授業とは

 科学上のもっとも基礎的・一般的な概念・法則を教えて,科学とはどのようなものかということを目的とした授業理論。

 この授業法の理論的基礎は主として次の二つの命題におかれている。命題とは「真偽を判定することのできる文。AはBである」ことをいう。

 一,科学的認識は,対象にたいして目的意識的に問いかける実践(実験)によってのみ成立し,未知の現象を正しく予言しうるような知識体系の増大確保を意図するものである。

 二,科学とは,すべての人々が納得せざるを得ないような知識体系の増大確保をはかる一つの社会的機構であって,各人がいちいちその正しさを吟味することなしにでも安心して利用しうるような知識を提供するものである。

 この第一の命題によって。実験の前には必ず生徒一人一人に予想・仮説をもたせなければならない,という主張が生まれる。また,第一第二の命題から,討論の重要性が指摘される。他人のすぐれたアイデアを積極的にとり入れ。他人のまちがった考えを批判し,自分の考えが正しいと思ったら,みんなから孤立しても自説を守り,他人を納得させるだけの論理と証拠・予言をそろえられるようにしなければならない,というわけである。そこで,この授業理論にもとづく授業では,問題・予想・討論(仮説)・実験が授業の中心におかれることになる。同じ概念・法則に関連する一連の問題をつぎつぎと与えて予想をたてさせ,考え(仮説)をだしあわせて討論させてから実験によってどの予想が正しかったかを知らせるうちに,目的とした概念

・法則を確実に身につけさせようというものである。

 このような授業で成果をあげるには,とくに適切な問題の作成配列が重要になるが,そのためには「授業書」という一種の教科書を準備し,教師と生徒に提供する方法がとられている 第二の命題によって,生徒たちに受け入れ能力さえできていれば,科学の知識は積極的に提供した方がよいというのである。

 この授業理論は1963年に板倉聖宣らによって提唱されたもので,それ以来,〈ふりこと振動〉〈ばねと力〉〈ものとその重さ〉〈花と実〉〈電流と磁石〉〈溶解〉〈宇宙への道〉などの授業書が作成され,全国各地の小・中学校などで多くの実験授業が行なわれている。そして大部分のクラスでほとんど全員が「考えるのがたのしい」として理科の授業が好きになるなど,多くの成果をあげたと報告されている。また,一般の理科や社会科・算数の授業などでも,予想をたてさせることが普及するなど,多くの影響を与えている。

板倉聖宣が「ジャポニカ大日本百科辞典』に執筆した「仮説実験授業」 (1969年,小学館)

授業書とは

 私ども仮説実験授業研究会は,問題→予想→討論→実験というものを積み重ねていって,最後には「なるほどなあ」となるような問題配列を考えています。1つ1つのナゾナゾみたいな問題はナンセンスです。だから1つ1つの問題はできる必要はない。問題がいくつか系統的につながってくると,ひとつの法則的なものがあることがわかるようになります。そうすれば「これは知っておくといいなあ,楽しいなあ」と思うようになるでしょう。ですから,教材の組み方が問題です。

 それでは,どういう組み方をしたらよいかというと,これはなかなかむずかしいことです。だから,仮説実験授業研究会では,どういう問題をどういう順序でどういうふうに教えていったらよいかを,一種の教科書,あるいは一種の教案のような形で提示することにしています。そしてそれを「授業書」とよんでいます。授業書というのは,またノート兼用でもあります。これにはた,読み物も入っています。授業を効果的にするために役立ついろんなものがとりこまれています。

 この授業書というものは,教師個人個人が作るものではありません。お互いに知的財産を集めあって作り上げるものです。私は,科学というのは他の人の喜ぶ分まで喜んでしまうような人間,そのような人間が集まって他の人も使えるものを作りあげるものだと思っています。しかし,自分のアイデア,自分の能力に非常な自信をもっている優秀な人は「他人の作った授業書なんか,てんでおかしくて,使えるものか」と考えて,他人の作ったものは参考程度にして自分流の「独創的な」授業をします。その授業はたいがいうまくいきません。授業書というものを作るときには,いろんなクラスで実験授業をし,そして「これで授業をやれば確実にうまくいく」「大部分の教師が楽しい授業ができる」ということを保証できるところまで改良していくのです。

 ところで,「楽しい授業もいいけれども,それよりも,まずこれこそは教えなければならない,というものがあるのではないか」と言う人もいます。私は,そういうことはあまり問題ではないと思うのです。多くの人がいろんな教科の中の最も大事な基礎的知識も身についていないのはなぜか,というと,それは教わらなかったからではないんです。そういう人たちだって,みんな一通りのことは教わっているはずです。教わったいるにもかかわらず,なぜできないかというと,それは興味ももって教わっていないからです。「おもしろいなァ」という形で教わっていない。だから,みんな忘れちゃうし,それ以前に,一度も身につかないんです。

 それでは「どういうものが面白い教材になるか」というと,自分の予想が外れてしまって,しかもそれが新しい予想をたてるときに根拠となるような知識,他のことにも広く使えるような知識,そういうものがいいわけです。そういう知識を身につけるのはすごく楽しいです。基本的一般的でないものは,適用範囲が狭いですからダメなんです。そのときは「おもしろい」と思っても,あとの場面では使えません。だから,原理・原則的なものを教えるといいわけです。

板倉聖宣「仮説実験授業とは何か」『科学と教育のために』1979年,季節社

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